源泉紹介
日本でも指折りの超高濃度、弱アルカリ源泉水
熱海温泉の歴史
戦国の乱世が終わり、天下泰平の時代になった江戸時代には、将軍・大名や武士の支配階級から農民・職人・商人などの庶民にいたるまで、温泉に入浴して病気を治す湯治が全国的に盛んになりました。江戸に近い熱海温泉には多くの大名が湯治に訪れており、本陣であった今井家の宿帳には、寛永6年(1629年)から幕末の弘化2年(1845年)までの200年余りの間に、全国の城主65名が来湯した記録が残っています。
特に熱海の温泉を愛した将軍として名高いのは徳川幕府初代将軍・徳川家康公です。
源頼朝を尊敬した家康は「自分もいつかは天下を統一したい」と、頼朝が学び、頼りにしていた伊豆権現(現在の伊豆山神社)の再興に寄与しました。「徳川家康は、関が原の合戦前に熱海に入湯し、その温泉パワーをもらって天下統一を成し遂げた」とも言われています。
また慶長2年(1602年)に熱海に湯治、そして慶長9年(1604年)3月、家康公は義直、頼宣の2人の子どもを連れて、7日間熱海に滞在しました。この年の9月、京都で病気療養中である吉川広家のお見舞いとして熱海のお湯を運ばせました。京都の近くにも名湯があるにも関わらず、わざわざ「熱海の温泉」を運ばせたことからも、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかが窺い知れます。
熱海から江戸城まで温泉を運ばせた「御汲湯」の始まりは、4代将軍家綱公が大湯の温泉を真新しい檜の湯樽に汲み江戸城まで運ばせたのが始まりであり、その後歴代徳川将軍に継承されました。特に8代将軍吉宗は8年間で3643個の湯桶を運ばせています。
静岡県熱海市役所調べ
静岡を代表する温泉地、熱海の源泉は、塩化物温泉と硫酸塩温泉が約9割を占め、1日の総湧出量は約26,000トン。42℃以上の高温泉が9割を超え、80℃以上の源泉が39本あります。
歴史的にも古く、およそ1500年前の仁賢天皇の時代に海中から熱湯が噴き出したことから「熱海」と名付けられたといわれています。江戸時代には徳川家康が来湯し、以来徳川家御用達の名湯として名を馳せ、家光以降に熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯(おくみゆ)」が行われていた名湯です。
上多賀4号泉(湯〜福)は、数ある熱海の温泉の中でももっともイオン濃度が高く、さまざまな温浴効果がある温泉です。
日本有数の超高濃度温泉
1kgあたり10g以上の温泉成分が含まれる温泉は「高張性温泉」という濃度が高い温泉に分類されます。この値が大きいほど、浸透圧が高く、温泉成分が皮膚を通して体に入りこんできます。
「上多賀4号泉(湯〜福)」の成分総計は、1kgあたり32.11g。実に基準値の3倍以上の濃度を誇っています。超高濃度だから、一般浴槽に1〜2リットル入れるだけで、十分に温浴効果が感じられます。
毎日の入浴で免疫力・基礎代謝をアップ
塩化物イオンが成分の55%を占めているため、塩の膜が肌に付き、湯冷めしにくく芯までポカポカ。毎日利用することで平熱が上がり、免疫力や基礎代謝のアップ、アンチエイジング効果が期待できます。
多様な成分を含む弱アルカリ性の温泉が、皮膚からしっかり浸透するので、血管を柔らかくし、関節の痛みを取り、美肌に導きます。
秘湯熱海上多賀温泉の効能
褥瘡(床ずれ)・血行障害・神経痛・運動麻痺・慢性消化器病・疾病・冷え性・病後回復きり傷・火傷・慢性皮膚病・美肌・アトピー性皮膚炎・ニキビ・肌荒れ・肥満・慢性婦人病・五十肩等
ご多忙の現代社会生活の方や、お身体が不自由で気軽に温泉に行かれない方へ